
近年、日本でもADHDを含む発達障害を持つエンジニアが増えています。高い技術力を持つ一方で、タスクの優先順位付けや進捗管理に苦労するケースは珍しくありません。会議が長引く、指示が曖昧で迷子になる、過剰な衝動性により「今すぐやりたい」気持ちが優先されてしまい、重要なタスクが後回しになる──このような悩みは、チーム全体の生産性にも大きな影響を与えます。
本稿では、ADHDを持つエンジニアの特性を前提に、アイゼンハワー・マトリクス(重要度・緊急度の4象限)と衝動性の特性を組み合わせた「アイゼンハワー+衝動性」マトリクスを提案します。実務に即した設計と運用例、ツールの活用、組織・個人の習慣づくりを通じて、優先順位付けを安定させ、生産性と自己肯定感を高める道筋を示します。
目次

- ADHDと優先順位付けの課題を理解する
- アイゼンハワー・マトリクスの基本
- 衝動性とADHDの関係をどう活かすか
- 「アイゼンハワー+衝動性」マトリクスの設計思想
- 実践ガイド:具体的な運用手順とツール
- 事例紹介:エンジニアリング現場での活用例
- よくある質問とよくある誤解
- 結論:継続する小さな改善の積み重ね
ADHDと優先順位付けの課題を理解する
ADHD(注意欠如・多動性障害)は、注意の持続・抑制・計画・組織化といった実行機能の難しさを特徴とします。エンジニアリングの現場では、次のような形で課題が顕在化しがちです。
- 長期的な計画の立案が難しく、タスクの分解がうまくいかない
- 緊急性や重要度の認識が曖昧になり、衝動的に「今すぐやるべきこと」を優先してしまう
- 集中が切れやすく、時間感覚のズレで納期を過小評価・過小見積もりする
- 画面の多さ・ツールの複雑さ・会議の回数の多さに疲弊し、優先順位の判断がブレやすい
- ミスリードを招く指示解釈、コミュニケーションのズレが生産性を低下させる
ただし、ADHDは欠点だけではありません。高い創造性、問題解決のスピード、瞬時の切り替え能力といった強みを持つ場合が多く、適切な仕組みとツールで補完すれば大きな力になります。重要なのは「優先順位付けを外部の仕組みで安定させる」ことです。
アイゼンハワー・マトリクスの基本
アイゼンハワー・マトリクスは、米大統領Dwight D. Eisenhowerが提唱したタスク管理のフレームです。4つの象限でタスクを分類します。
- 第1象限:重要かつ緊急
- 第2象限:重要だが緊急ではない
- 第3象限:緊急だが重要ではない
- 第4象限:重要でも緊急でもない
この枠組みを使うと、ただ衝動的に「今すぐやるべきこと」を処理するのではなく、長期的な成果に資する「重要な仕事」を優先できます。実務では、日次・週次・プロジェクトごとにこの分類を回すことで、タスクの優先度を可視化します。
ただし、ADHDを持つエンジニアの場合、衝動性によって第1象限へ片寄る傾向が強くなることがあります。次章では、衝動性とADHDの特徴をこのマトリクスにどう組み込むかを検討します。
衝動性とADHDの関係をどう活かすか
衝動性は、創造性や決断を迅速に行う力として評価される一方、計画性の欠如や長期的視点の不足を招くことがあります。ADHDの人が衝動性を活かすには、衝動の方向性を組織の目的と結びつけ、衝動的な行動を適切なタイミングで「実行可能な小さな行動」に落とし込む仕組みが必要です。
アイデアの発散タイプと収束タイプという観点で見ると、
- 発散的衝動性:新しいアイデアや改善案をすぐに提案・実験したい衝動
- 収束的衝動性:ひとつの解決策に速やかに集中して実装したい衝動
この二面性を、マトリクスの運用に組み込むことで、衝動性を抑えつつ前進を促すことができます。具体的には以下のような「衝動性の抑制と活用の同居」設計が有効です。
- 衝動的なアイデアを受け止める「アイデアボックス」:アイデアを蓄積して、定期的に検討する場を設ける。実装は後回しにするが、アイデア自体は捨てず記録する。
- 短期実験と評価のルール化:新規アイデアは「小さな実験(例:1日または1周のスプリント)で検証」するルールを作る。成功すれば拡大、失敗しても失敗点を学ぶ。
- 緊急性と重要性の再認識:衝動的に第1象限へ持ち込まれがちなタスクを、必須条件・影響範囲・デッドラインの観点で再評価する。
この視点を取り入れると、衝動性はネガティブな性質として扱われず、むしろ「適切な環境下での強み」として活用できるようになります。
「アイゼンハワー+衝動性」マトリクスの設計思想
このセクションでは、ADHDを抱えるエンジニアが現実の業務で使える、アイゼンハワー・マトリクスに「衝動性」の要素を組み込んだ実践的な設計思想を紹介します。
1) マトリクスの拡張:4象限に加えて「動機づけの距離」を表示
基本の4象限に加えて、各タスクが「動機づけの距離」を持つように評価します。距離は以下の指標で測るとわかりやすくなります。
- 影響範囲の広さ(組織全体・チーム・個人)
- 影響の永続性(短期・中期・長期)
- 学習機会の有無(新しい技術の習得・スキルの向上)
- 緊急性の変化の可能性(デッドラインの伸縮)
この距離感を色分け(例:赤=近い、黄色=中、緑=遠い)で視覚化すると、衝動的な判断を抑えつつ適切な優先度付けがしやすくなります。
2) 第1象限の「衝動性対応枠」を設置
第1象限は本来「重要かつ緊急」です。しかしADHDの衝動性を持つ人は、この象限を過剰に埋めがちです。そこで、以下の工夫を導入します。
- 「今すぐ着手」リストを設けるが、1日1回だけ処理する制限を設ける
- その場で着手して良いタスクを「短時間実施可能なタスク」に限定
- 本当に緊急かどうかを二人以上の合意で再確認するルール
この枠の運用は、衝動性を抑えつつ、即応力を生かすバランスを取る狙いです。
3) 「衝動性を測る指標」の導入
自分の衝動性の強さを定量化する簡易な自己評価を日次・週次で行います。例として次の指標を使います。
- 集中の持続時間(分単位、目標値を設定)
- 計画と実行のズレ(パーセンテージ、デッドラインの達成度)
- 中断されたタスクの数と理由
この自己評価を基に、次週の優先順位付けルールを微修正します。
4) タスク分解の技術
ADHDの人にとって大きなタスクは心理的に取り組みにくい場合があります。分解は以下を意識します。
- 1つのタスクを「実装可能な小さな行動」の連続に分解
- 各小タスクに対して短いデモンストレーション可能な成果物を設定
- 進捗を可視化するダッシュボードを用意
小さな成果物が積み重なると自己効力感が高まり、衝動性が発動しても適切な方向へ導くことができます。
実践ガイド:具体的な運用手順とツール
以下は、実務で使える具体的な運用手順とツールのセットです。ADHDのエンジニアが日常の中で導入しやすいものを想定しています。
手順1:日次の「今日の優先タスク」を決める短いルーティン
- 朝の15分で、今日のタスクを4象限に分類
- 第1象限が多いときは、最も重要かつ緊急な1件だけを選ぶ
- 「今日やるべきことリスト」を1ページ程度に収める
- 終了時に達成感を得られるよう、完了マークを付ける
ポイント:
- 多くのタスクを詰め込みすぎない
- 1日1つの大きな成果を目標とする
手順2:衝動を「記録→検討→実行」の3ステップで処理
- 衝動的に生まれたアイデアを「記録ボックス」に即時保管
- 1日1回の短いレビュータイムで検討
- 実行の可否を判断し、即時実行が必要なら短時間実験として着手
このルーチンは、衝動性を抑えつつ新しいアイデアを失くさず、適切なタイミングで実行を回すことを目的とします。
手順3:タスクの分解とスプリントの組み合わせ
- 大きなタスクは「1〜2日で完結するサブタスク」に分解
- 各サブタスクの完了条件を明示
- スプリントボードには「まだ着手不可」「着手済み」「完了済み」の3段階で表示
このやり方は、タスクの見え方を整理し、衝動性による混乱を抑えるのに有効です。
手順4:コミュニケーションの透明性を高める
- チームミーティングで「第1象限の緊急案件は誰が担当するのか」を明確化
- 依頼の明瞭化(要件・デリバラブル・デッドラインの記載)
- 失敗や遅延があっても責任追及ではなく改善点の抽出にフォーカス
透明性を高めると、誤解が減りADHDの人でも自分の役割を理解しやすくなります。
手順5:ツールの活用
- タスク管理ツール(例:Trello、Jira、Asana)で4象限を可視化
- 自動リマインダーとデッドライン通知
- ダッシュボードで日々の進捗を可視化
- アイデアの蓄積にはノートアプリ(Notion、Evernote、Google Keepなど)
ツールは「補助道具」です。使い方に過度に依存せず、作業習慣を支える枠組みとして位置づけましょう。
事例紹介:現場での活用例
以下は、実際のエンジニアリング現場で「アイゼンハワー+衝動性」マトリクスを活用したケースです。
ケース1:ソフトウェア開発チームのブロック解消
状況:
- プロジェクトのスプリント計画で、緊急性の高いタスクが次々と積み上がる
- ADHDを持つエンジニアが衝動的に新機能の改善案を提案するが、既存の重要タスクが遅延
対応:
- タスクを4象限に分類し、緊急性と重要性の再評価を実施
- 発案は「アイデアボックス」に蓄積、1週間に1回の短時間レビューで優先度を決定
- 第1象限のタスクは1日1件までに制限、実行は短時間実験として実施
- 結果、納期遅延が減り、衝動的な提案を適切なタイミングで取り込む体制が整った
効果:
- チーム全体の優先順位の透明性が向上
- ADHDのエンジニアが自己効力感を高め、積極的に関与するようになった
ケース2:大規模データ処理基盤の運用改善
状況:
- データパイプラインの変更要求が頻繁に来て、運用チームが混乱
- ADHDのメンバーが「今すぐやるべき」という感覚に引きずられ、根本的な設計変更を乱暴に進めていた
対応:
- 運用タスクを設計・運用・監視の3象限で再編成
- 緊急性の高い運用タスクは「安定運用の優先リスト」に再分類
- 変更の影響範囲を明確化し、短期の実験で検証
- 事後レビューで失敗点と成功点を整理
効果:
- 運用の安定性が向上し、衝動性によるリスクを低減
- ADHDのメンバーは「短期的な試行錯誤」と「長期設計のバランス」を学んだ
よくある質問とよくある誤解
- ADHDの人は優先順位付けができないのでは?
- いいえ。優先順位付けは難しいスキルですが、適切な枠組みと日常的な実践で安定させることができます。ADHDだからできない、というよりは「どうすればできるか」を設計する問題です。
- 第1象限を減らすと重要性が下がるのでは?
- 重要性と緊急性のバランスを取ることが目的です。衝動性を過度に優先させず、長期的な成果につながるタスクを確実に回す工夫を入れることが大切です。
- ツールに頼りすぎて人の判断力が低下するのでは?
- ツールは意思決定を補助するものです。最終判断は人間が行い、ツールは情報の可視化と透明性を高める役割にとどめます。
- どうやって習慣化すれば良い?
- 小さな習慣を毎日続けることが鍵です。1日の終わりに「今日の第1象限の達成度」と「衝動性の自己評価」を振り返るなど、ルーチン化を目指しましょう。
結論:継続する小さな改善の積み重ね
ADHDを持つエンジニアが直面する「優先順位付けの難しさ」は、個人の弱点として受け止めるべき問題ではありません。むしろ、特性を理解し、それを活かす仕組みを組み合わせることで大きな強みへと転換できます。
アイゼンハワー・マトリクスは、タスクを「何を最優先にすべきか」を明確化する強力なフレームです。そこに衝動性の特性を組み込むと、衝動的な判断を抑制しつつ、適切なタイミングで衝動を活かすバランスを取ることが可能になります。
実践の核心は次の3点です。
- 透明な優先順位付けの枠組みを作ること
- 衝動性を評価・管理する仕組みを導入すること
- 小さなタスク分解と短期実験で、自己効力感と成果を積み重ねること
この3点を、日々の業務に落とし込み、週次・月次で見直しを行うことで、ADHDエンジニアの生産性は着実に向上します。さらに、チーム全体のコミュニケーションの質も高まり、組織としての柔軟性と創造性も高まります。
この記事で紹介した「アイゼンハワー+衝動性」マトリクスは、特定の方法論にとどまらず、個々人の特性に合わせてカスタマイズ可能な枠組みです。あなたの現場に合わせて、運用を微調整してみてください。最初は小さな対象領域から始め、徐々にスケールを広げることを推奨します。
最後に、ADHD 発達障害 エンジニアとして働く人々へ一つのメッセージを。自分を否定せず、むしろ自分の強みを見つけ、それを補完する仕組みを作ることが、長いキャリアの中で最も価値のある投資です。適切なマトリクスとサポート体制を組み立てれば、優先順位付けは「難しい課題」から「自分の力を最大化する武器」へと変わります。あなたの強みを活かすための第一歩を、今日、踏み出してください。
Keywords: ADHD 発達障害 エンジニア
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